心経の科学性MINIMINI模型博物館
般若心経はわたしの羅針盤

金毘羅さん(十日さん)と八十八所、お遍路巡り
とうかさん、と言えば、40年前までは大変な賑わいをみせた,大イベントであった。屋台は勿論サーカス、芝居小屋、お化け屋敷、賭博までも登場、娯楽の乏しかった当時には待ちどうしいお祭りでした。郡内、県外から信者、縁類、老若男女、子、孫、続々押し寄、臨時列車まで増発された。当時は参道に桜の大木が見事な花を咲かせ酒宴も開かれた。
そして今、かつての賑わいは影を落とした。農業の衰退と世相の変遷がかかわっているのだろう。
祥光寺八十八ヶ所は四国霊場の模型版。
1200年の歴史を伝える矢田の金毘羅さん。四国の金毘羅宮とのかかわりは濃厚である。神仏混合、僧侶が神を守りをするという。現在では少ない存在である。神さんが寺の、乗っ取りを企んだのではと、私は邪推する。当時は親鸞、最澄、空海、道元などと仏教が栄えた時代であるからだ。120年前に現在の金毘羅さんと八十八ヶ所霊場が確立された。あまたの浄財、夫役が供されたのでしょう。信仰の偉大さに驚くばかりです。
そして毎年、十日さん大祭と八十八ヶ所お遍路巡りが、浦田住職ご夫妻と地元金毘羅の方々の、暖かい協力で伝統が引き継がれています。
おセッタイと言うもてなしには、心の暖かみを感じさせ、本場四国霊場巡りの雰囲気をみせてくれます。
宗教と科学との関係。
科学の進歩と宗教の衰退は必然的にも見える。科学の王様哲学はどうなのか。宗教が先か、哲学が先か私は宗教が先と考える。哲学はこじつけに似た論法で大人ぶる。私は日本の神様は嫌いだ。かって私たちは日本は神の国、戦争は聖戦だと徹底して叩きこまれ、結果は原爆まで落とされて。250万人にも及ぶアジア民族を殺戮し平然としている。仏教はなんとなく好感がもてる。仏教が衰退の途にあるやに見えるが、ただ科学の進歩の速度に遅れたためと善意に愚考します。科学はブレーキの効かない発展を野放しに進んでいく。
いまこそ宗教も平和の問題とか、人類愛、環境問題、生命尊厳の課題、教育、政治あらゆる分野で視野の広い宗教に変わらざるを得ないだろう。
いま私達は科学を過信しすぎて、人間らしさを失ってしまった。私達人間は自然の恵みのお陰で生きさせてもらっていると言う自然に感謝する心を取り戻さねばならない。
般若心経の科学性
観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識亦復如是、舎利子、諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減、是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界乃至、無意識界、無無明亦、無無明尽乃至、無老死亦、無老死尽、無苦集滅道、無智亦、無得以、無所得、故、菩提薩捶、依般若波羅蜜多、故心無罫礙、無罫礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟、涅槃、三世諸佛、依般若波羅蜜多、故得阿耨多羅三藐三菩提、故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是等等呪、能除一切苦、真実不虚、故説、般若波羅蜜多、呪即説呪曰、羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶

般若心経を読んでいくと(空)、(無)、(不)の字が多いのに気ずく筈です。実はこの3文字が心経を解く鍵なのです。
いずれも否定的な意味合いを持っていますが、(無と不)は当たり前の解釈でよい。難解なのは(空)なのです。(空)の解釈は心経の文中、舎利子という弟子の名に挿まれて(色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦如是。)と舎利子にくどいほど、繰り返し説明しているのです。これは矛盾論で中学で物理を学んだ方なら誰でも、矛盾論の理解と、その普遍性に驚くだろう。幾千年も前にこの様な物の見方、悟り、哲学!。そして心経の中ほどは無と不で簡単に否定し、後半は心経の悟りを自画自賛しているのです。釈迦のひょうきんな人柄が想像できる。私は他の聖者に秀でる人物として尊敬しています。
色即是空。蒸気エンジンの行程が見事に説明してくれます。圧縮過程が(色)、排気過程は(空)として考えてみれば解るように矛盾は両者同居しているのです。森羅万象、すべてこの法則で動いていることにきずくでしょう。このことは(是諸法空相)と説明されています。